佐賀市唐人町商店街 TOJINMACHI SHOPPING STREET

HISTORY
佐賀市唐人町商店街について

唐人町の由来

天正15年(1587年)、朝鮮(現:朝鮮民主主義人民共和国)の吉州で舟遊び中だった李 宗歓(り そうかん)は事故に遭い漂流の末、日本国筑前黒崎の浜(現:北九州市)にたどり着いた。

もともと高い地位の武人であり文化人であった李 宗歓は、鍋島藩家臣龍造寺家晴成富兵庫茂安との出会いがきっかけで、その才能を認められ、佐賀藩主鍋島直茂に仕えることとなり、文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に同行。通訳のみならず地理にも詳しかったため重要な役割を果たした。

また、陶工など数人の高麗人を招聘したことで後の佐賀の産業発展に多大な貢献をしたのである。

しかし、祖国側からは敵に加担したとみなされ帰国が許されなかった。それを不憫に思った直茂は、佐賀藩への功績と忠義を称え、慶長4年(1599年)、連れてきた高麗人たちを佐賀城下の十間堀川の北側に住まわせ、唐人(異国人)の町「唐人町」と命名した。

鍋島直茂像(鍋島報效会所蔵)/wikipediaより引用

李 宗歓が招聘した高麗人たちは、佐賀藩の製陶や製塩をはじめ、治水や干拓など様々な事業へも貢献した。特に唐物の繊維品、陶器、金物、海産物、荒物などの海外貿易によって唐人町は商人が集まる場所として発展していった。唐人町商店街の礎である。

明暦元年(1655年)に96歳で他界するまで望郷の念にかられていたと伝えられる李 宗歓が、その思いを残した石碑は唐人塚と呼ばれ、現在では唐人神社として商店街の中央にある広場に祀られている。
墓は鍋島勝茂公の姫付老女、秀島源右衛門の母により高麗人が帰依するために町内に創建された鏡圓寺にある。

唐人神社
唐人神社の由来

唐人町商店街のおもな出来事

1842年 御用荒物屋・川崎勘四郎が先祖である李 宗歓と唐人町の始まりについて書いた「唐人町御用荒物唐物屋職御由緒の次第」を鍋島藩に提出

1959年 佐賀県内で初めてアーケードを設置

1972年 第1回「納涼さがまつり」(現:佐賀城下栄の国まつり)開催

1985年 シンボルロード整備事業で電線の地中化や歩道の整備を行うと共に老朽化したアーケードの撤去

2004年 空き店舗対策事業「チャレンジショップ」開始。若手開業希望者を支援

2006年 中心市街地の活性化を目的に、市民の交流の場としてカフェを併設したコミュニティー施設「TOJIN茶屋」を開設

2012年 「TOJIN茶屋」大規模リニューアル

2016年 佐賀市初の子ども食堂が開設

1959年 佐賀県内で初めてアーケードを設置

例年行われるイベント

・唐人神社例大祭(7月15日開催)
佐賀城下栄の国まつり(8月開催)
サガ・ライトファンタジー(10月下旬〜開催)
※都合により開催されない場合もあります。

佐賀城下栄の国まつり
写真提供:佐賀市観光協会
サガ・ライトファンタジー
サガ・ライトファンタジー
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